東は世田谷区、西北を調布市、南は多摩川を境界に川崎市と接する狛江市は、埼玉県の蕨市、鳩ヶ谷市に次ぐ全国で三番目に小さな市域だ。人口は7万6千人を超え都内では23区を省くと武蔵野市に次いで人口密度が高く、都心近郊のベッドタウンとして知られている。市のほぼ中央に位置する小田急線狛江駅は新宿から約20分、東京メトロ千代田線も乗り入れており都心へのアクセスが良く、バス路線も整備され市内や近隣地域への移動も便利だ。駅から徒歩10分圏内に市役所や市民センター、中央図書館など公共施設が集中し、多摩川の広大な河川敷や野川沿いの自然をはじめ西河原公園、岩戸川緑地公園、弁財天池緑地など公園や緑地も多く、生活環境の整った暮らしやすいエリアとして人気が高い。
この辺りは太古の昔から暮らしやすい環境だった。市内各所に約1万1千年前の旧石器時代から縄文・弥生時代に及ぶ多くの遺跡があり、石器や竪穴住居の集落跡、土偶、銅や鉄製の腕輪などが発掘されている。飛鳥時代の5〜6世紀に造られた多くの古墳もあり、かつては「狛江百塚」といわれていた。比較的大型な古墳が多く、大和朝廷から派遣された国司や朝廷に帰属した豪族たちの墓とされている。
地名の由来は、朝鮮半島から渡来した「高麗の人が住む入江」から「狛江」になったという説が伝わる。平安時代の文献『倭名類聚抄』に「武蔵国多摩郡狛江郷」の地名が記されているが、現在の調布市、三鷹市、武蔵野市の一部を含めた広域を指していたらしい。その後、狛江の地名は消滅したが市域に集落は存続した。江戸時代には和泉、猪方、岩戸、駒井、覚東、小足立の6か村が農業を営み、文化・文政(1804〜30)の頃は全戸数が290戸だったという。明治22(1889)年の市町村制で6か村が合併されたときに狛江村となって地名が復活、同26(1894)年に神奈川県から東京府に所管が移行された。小田急線の開通は昭和2(1927)年で狛江駅と和泉多摩川駅が開業。鉄道の開通に伴い農地の宅地化が徐々に進み、昭和27(1954)年に狛江町となり、1960年代から急速に人口が増加しベットタウンとして発展し、昭和45(1970)年に市制が敷かれ狛江市が誕生した。