芝公園
芝公園は明治6(1873)年に開園した上野、浅草、深川、飛鳥山と共に日本初の公園に指定された場所だ。往事は増上寺の境内を含む広域な公園だったが、第二次大戦後の政教分離で増上寺の敷地が分離され宗教色のない都立公園に整備された。
現在、芝公園は増上寺を取り囲むような形で、広い園内の西端に東京タワーがそびえ、ホテル、学校、図書館、ゴルフ練習所、遊歩道などが点在し、東端には港区役所もある。銀杏や楠、欅などの古木も多く都心の緑地として親しまれ、東側の遊歩道はデートコースとして人気が高い。また、芝公園の名称は町名として使われ、都営地下鉄三田線の駅名にもなっている。アリア内には三田線の御成門駅もあり、東へ歩けば都営地下鉄浅草線と大江戸線の大門駅やJR浜松町駅へも近く、羽田空港へ東京モノレールも往復し、公園の南西端には大江戸線の赤羽橋駅もある。東は芝大門や浜松町、西側一帯は麻布界隈、北は新橋や虎ノ門、南は芝や三田に囲まれ、近年、芝公園や周辺地域にオフィスビルのほかにマンション建設も進んできた。
それらのマンションは職住接近を求める人や、老後は便利な都心生活をと望み郊外より移転を考えている熟年層などからも人気を集めている。増上寺は空海の弟子・宗叡が現在の千代田区麹町辺りに建立した光明寺が全身とされ、室町時代の明徳4(1393)年に真言宗から浄土宗に改宗した古刹で、徳川家の菩提寺として有名だ。菩提寺になった経緯は、天正18(1590)年に徳川家康が江戸入府の際、寺の前で源誉存応上人と対面したのが縁と伝わるが、史実は定かではない。源誉存応は武蔵国多摩郡出身の僧で、天正12(1584)年に増上寺の12世になっている。麹町にあった増上寺は一時期日比谷に移るが江戸城の拡張で、慶長3(1598)年に家康によって現在地に移され20万坪の境内に大伽藍を配し、以後、6人の徳川将軍霊廟が造られた。寺の石高は100万石といわれ、常時3千人の学僧が修業する壇林(学問所)も置かれた。しかし、明治維新後の神仏分離の影響で規模が縮小。第二次大戦の空襲で徳川霊廟や五重塔など建造物のほとんどを焼失したが、戦後、現在の伽藍に復興している。高さ333 mの東京タワーは昭和33(1958)年に完成した東京地区の集約電波塔で、パリのエッフェル塔より8.6m高く当時の自立式鉄塔では世界一の高さを誇った。地上120m〜125mに2層の大展望台と223mに特別展望台があり、壮大な景観が楽しめる東京のシンボル的な観光名所だ。