東京23区の南端にある大田区のほぼ中央部に位置する池上・南馬込エリアは、大正から昭和にかけて作家、詩人、画家など進歩的な芸術家や文化人が多く移り住んだことで知られている。住宅地として早くから開発された地域で、日蓮上人の入滅の地で有名な池上本門寺があり、東急池上線の池上駅周辺は門前町としての歴史もある。池上駅からJR蒲田駅まで約4分、JR五反田駅へも約18分とアクセスも至便だ。都営地下鉄浅草線の西馬込駅もエリア内にあり、五反田駅まで約7分、新橋駅まで約18分と都心へ出るも容易で、JR大森駅にも池上駅を拠点に路線バスが頻繁に運行されている。現在は本門寺境内と一部の商業地を除き、ほぼ全域が住宅街になっており、歴史や文化的な香りのただようエリアとして人気が高い。
池上の地名の由来は、今も区内北部に現存する洗足池がかつては広大で、その上(かみ)に位置していたからという説と、天慶年間(938〜46年)のころに池を領した藤原祐忠が池上姓を名乗り高台に住んだことが村名になったという説もあるが、定かではない。周辺一帯から大森貝塚や古墳群などが発見されており、古代から人が暮らしていたことは確かだろう。江戸時代初期には六郷用水の開削に伴い田畑の整備が進み、後に江戸府内への農作物の供給地となった。また、弘安5(1282)年が起源とされる池上本門寺は、鎌倉・室町時代を通して関東武士の庇護のもとで栄えてきた。江戸時代中期になると、府内から近郊の神社仏閣巡りが行楽として人気を集め、本門寺への参拝も盛んになり、現在の参道入口付近は商家が軒を連ね、池上警察署辺りまで町並みの続く門前町に発展した。その面影を今でも萬屋酒店や名物の“くずもち”などの老舗が伝えている。
また、平安から室町時代にかけて馬込は馬の産地だったらしい。「平家物語」の“宇治川の先陣争い”でお馴染みの梶原景季が騎乗した磨墨(するすみ)は、馬込産の馬といわれている。景季の死後、家臣が磨墨を引いて逃げ込んだのが由来となり、馬込の地名が付いたという一説が伝わるが確証はない。馬込一帯も大正時代までは僻村だったが、後に池上から南馬込や山王にかけての一帯に、多くの作家や芸術家が居住するようになり「馬込文士村」と呼ばれた。現在の池上梅園は日本画家の伊東深水のアトリエ跡で、同じく日本画の大家・川端龍子の邸宅は龍子記念館になっている。