横浜市港北区東部のほぼ中央に位置する大倉山周辺は、大正15年(1926)に東京横浜電鉄
(現:東急東横線)の開通に伴い早くから宅地開発が進められた地域だ。現在は閑静な住宅地が広がり、東横線で横浜の中心地や渋谷へも直結しており、新幹線の横浜駅にも至近な距離で交通の利便性に優れている。また、区行政の中心地でもあり、緑豊かな広大な公園や鶴見川沿いの緑地など自然にも恵まれ、住環境の整った暮らしやすいエリアとして知られている。
東横線大倉山駅の改札を出ると、活気ある商店街が続く。駅の東側はレモンロード、西側は大倉山エルム通り、オリーブ通り、つつみ通りと連なり、それらが全体で大倉山商店街になっている。なかでも大倉山エルム通りは白壁に円柱をデザインした古代ギリシャ建築を彷彿させる建物が並び、統一感のあるお洒落な商店街として人気が高い。街路樹に緑が白壁に映え、歩道には花々の鉢植えが置かれ、電柱のない開放的で明るい雰囲気がただよい、心地よくショッピングが楽しめる。 大倉山エルム通りとレモンロードは、昭和53年(1978)に港北区総合庁舎が近くに移転してきたのを機に再開発された。その際エルム通りは、商店街の活性化を目的に建物の意匠を古代ギリシャ建築風に統一した。これは大倉山のシンボルでもある横浜市大倉山記念館が古代ギリシャの神殿を模した建物で、そりイメージを商店街の街並みに活かす意図で整備されたからだ。ちなみに大倉山エルム通りは、ギリシャの首都アテネ市にあるエルム通りと姉妹提携を結んでいる。 広大な大倉山公園内にある横浜市大倉山記念館は実業家の大倉邦彦が、教育・思想(精神)文化の研究・内外図書の収集および刊行などを目的に、私財を投じて昭和7年(1932)に創設した大倉精神文化研究所の本館だった建物。かつてこの辺は畑の広がるだけの名もない丘陵地で、研究所が創設されたことで大倉山と呼ばれるようになり、駅名も所在地名を採った「太尾駅」から、昭和9年(1934)に「大倉山駅」に改称された。戦後、大倉邦彦の死去に伴い研究所は財政難に陥り、昭和56年(1981)に敷地を横浜市に売却し本館を寄贈した。市は敷地を公園として整備、本館を大倉山記念館に改修して昭和59年(1984)から一般公開している。重厚な建物は市の有形文化財に指定され、館内の会議室やホール、ギャラリーなどの施設をレンタル使用ができる。また、館内の一画で研究所も活動を継続しており、付属図書館は一般市民にも公開されている。
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