八雲の地名は、氷川神社の神話で知られる八岐大蛇(やまたのおろち)退治の奉納舞「剣の舞」に由来する。大蛇を退治した素戔嗚尊(すさのおのみこと)が奇稲田姫(くしなだひめ)をめとったときに詠んだ歌“八雲立つ出雲八重垣妻ごみに 八重垣作るその八重垣”から採ったという。かつてこの辺りは荏原郡衾村と称し、氷川神社は村の鎮守だった。往事の面影を残しているのが、近くの碑文谷にある「すずめの宿緑地公園」だ。園内の鬱蒼たる竹林はかつて大群の雀の生息地で、昭和初期まで筍の名産地で知られた農村地帯だったことを伝えている。
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園内には古民家も移築されており、往事の暮らしぶりも偲ばれるだろう。また、碑文谷公園の「碑文谷池」は、江戸時代から昭和初期まで周辺の田畑を潤す灌漑用水の貴重な水源で、往事は池も大きく多くの野鴨が飛来し、将軍家の鷹狩場だった歴史もある。
昭和2年(1927)東京横浜電鉄(現・東急東横線)が開通してから宅地開発が進み、農村から市街地へと発展。現在は都心へのアクセスも至便で、駒沢公園をはじめ緑豊かな公園も点在し、めぐろ区民キャンパスなど文化施設も充実し住環境に恵まれた住宅街として、多くの人々が憧れのエリアになっている。 |