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 世田谷区では唯一大手デパートのある商業エリアを擁する二子玉川は、生活環境の整った暮らしやすい街として知られている。東急田園都市線と大井町線が乗り入れる二子玉川駅からは東京メトロ半蔵門線も直結しており、都心へのアクセスは極めて便利だ。道路もエリア内に246号線や環状8号線が貫通し、東名高速や第3京浜のI.Cにも近く、車での移動も利便性が高い。この街の象徴ともいうべき高島屋には世界的なブランドショップや有名専門店・レストランなども揃い、裏側一帯には多くの店舗が控え、個性的なショップから庶民的な店まで集まっている。ショッピングも都心へ出るまでもなく、ほとんどの目的が果たせるだろう。
  暮らしに潤いや安らぎを与えてくれる自然環境にも恵まれている。悠々と流れる多摩川には野鳥たちが飛来し、広々とした河川敷の公園や散策路、桜並木の続く堤防に上れば丹沢山塊や富士山が眺望できる。街の中も緑豊かな公園が点在し、樹木に覆われた緑地帯も残っており自然とふれ合う憩いの場が多い。また、五島美術館や静嘉堂美術館、古民家園などの文化施設も身近な場所にあることや、夏に開催されるは花火大会も忘れてはならない。このような恵まれた環境もあるのか、道行く人もどこか余裕が感じられ、住宅街もしっとりと落ち着いた風情でとても住みやすそうだ。
  江戸時代の二子玉川は大山街道の“二子の渡し”で知られ、江戸庶民の行楽だった大山参りで賑わい、渡し場は兵庫島の辺りにあり馬や荷車を乗せる大型船も用意されていた。文人墨客も多く訪れ、風景を「玉川八景」などと称え紀行文学や絵画に表し、浮世絵なども売り出されたという。多摩川の砂利は江戸時代から採取されていたが、明治維新の近代化にともない大量の砂利が必要となり、その輸送のために明治40(1907)年に玉川電気鉄道が開通された。同42(1909)年には玉川遊園地が、大正11(1922)に玉川第二遊園地も開園し多くの来園者がおとずれるようになり、料亭や置屋もでき三業地としても栄え、大井町線が二子玉川まで延長されたのは昭和4(1929)年のこと。

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  戦後も遊園地や三業地は継続したが徐々に衰退し、後年、いずれも姿を消した。同44(1965)年には玉電多摩川線と砧線が廃止されたが、同じ年に高島屋がオープンし二子玉川は再び注目され始めたのだ。同52(1977)に新玉川線が開通、2年後には半蔵門線も乗り入れ「ニコタマ」と呼ばれるようになり、テレビドラマの金妻ブームからコマダムブームを経て、タマタカ(高島屋)は全国的に有名となり、二子玉川の知名度も広がった。現在、二子玉川エリアは住環境に恵まれた“住みたい街”として人気が高い。
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a. 東急田園都市線の鉄橋
b. 二子玉川メインストリート
c. 多摩川沿いの遊歩道
d. 土手の抜け道
e. ショーウィンドウ
f. 上野毛自然公園
g. 多摩川の堤防
h. 多摩川の堤防下のレストラン
i. 砧線跡
j. 谷川緑道
k. 五島美術館
l. 等々力渓谷
m. 兵庫島公園から、眺望
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