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西横浜・保土ヶ谷 エリア・ストーリー
多様な生活シーンに対応できる恵まれた住環境で暮らしをエンジョイ
 横浜市のほぼ中央に位置する保土ヶ谷区の交通拠点はJR東海道線の保土ヶ谷駅。保土谷から横浜へはわずか3分、東京へも33分で着く。湘南新宿ラインを利用すれば渋谷、新宿へのアクセスも至便だ。駅の東口と西口にはバスターミナルがあり、横浜や桜木町、山の上の住宅地など区内はもとより近隣地区への移動も便利だ。車の移動も駅の東側を国道1号線がJRと並行しており、国道16号線や横浜新道、横浜横須賀道路のICへも近い。
 駅の西口には飲食店やコンビニエンスストアーやファーストフードなどの入った駅ビルがあり、旧東海道にある道路は商店街になっている。東口にも1号線沿いに飲食店などの商店が連なっている。相鉄線の天王町駅付近も商店街があり、そこを横浜方面に進み16号線を越すと“浜のアメ横”と呼ばれる松原商店街だ。相鉄線の西横浜の近くにも横浜一長いといわれる藤棚商店街がある。西前銀座、藤棚一番街、サンモール西横浜など5つの商店街が集まっている。また、天王町駅に隣接して横浜ビジネスパークがある。オフィスビルやレストラン、スポーツセンター、公園などを備えた広大な施設で、横浜の新しい観光スポットとして人気が高い。
 保土ヶ谷区からは大規模な古代遺跡も発見され、古来から人が暮らしていたことは確かだが、かつてこの辺りは榛谷御厨(はんがやのみくりや)と呼ばれていた。御厨とは平安時代以降、諸国に置かれた神社が所領する荘園の一種で、榛谷を開拓した豪族が占有権を護持するために伊勢神宮に寄進したとされている。保土谷の地名は“はんがや”が“ほどがや”になったという説がある。
 この地が広く知られるようになったのは、江戸時代に東海道が整備され宿場が置かれてからだ。慶長6年(1601)に東海道の伝馬制度が敷かれ保土ヶ谷宿が定められたが、当初は江戸と京都の間は37宿だった。その後も宿場の整備が進められ53宿になったのは寛永元年(1624)で、保土ヶ谷は日本橋から4番目の宿場となった。現在、宿場の面影を留めているのは本陣跡の門と本金子屋(旅籠)、品濃の一里塚くらいだが、天王町駅近くに旧帷子橋の欄干が再現されているのをはじめ、東海道の難所といわれた権太坂や江戸見附跡、高札場、問屋場などの散策が楽しめるような『旧東海道歴史の道 案内サイン』が設置されている。近代になると八王子から横浜港へ絹(生糸)を運ぶ中継地となり、横浜発展にも寄与した。
  現在の保土ヶ谷地区は、東京や横浜へのアクセスが利便な住宅地として人気が高い。野毛山公園も散策範囲にあり、広大な敷地にはレッサーパンタが人気者の野毛山動物園や、万騎が原ちびっこ動物園もある。園内は緑が豊かで桜の名所で、中村汀女(俳人)や佐久間象山(幕末の思想家)の碑もあり、横浜みなとみらいなどの眺望も楽しめる。また、大正時の小学生が10銭ずつ出し合った資金で整備したという横浜市児童公園も緑が豊かで、隣接して子ども植物園や英連邦墓地もあるので親子で散策するには最適なエリアだ。
桜ヶ丘学園通りの桜並木も隠れた名所で、季節には見事な花が楽しめる。保土谷公園の桜も有名だが四季折々の自然にふれられ、野球場やサッカー、テニス、プールなどのスポーツ施設や、かながわアートホールがあり演劇やコンサートの公演も行われる。西横浜・保土ヶ谷は様々な生活シーンに対応できるエリアといえるだろう。

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